檸檬漫談

早慶に通う留年生ふたりの文通型ブログ

留年の理由(高水準)

早稲田大学留年生活 251日目

桑弘羊へ

お元気ですか。
他にいい書きはじめ方が思い浮かばずにこんな文言になってしまいましたが、昨日も会いましたね。

本当は本題に入る前に色々と話した方がいいのかもしれないけど、思いつかないし恥ずかしいので先を急ぎます。

私が留年した経緯について書くんでしたね。
留年の多くは無計画でしょうが、私ほど「無計画の留年」という言葉が似合う人はなかなかいないと思います。

私が自分の留年を知ったのは3月も中旬が過ぎようとしているときでした。
就活も卒論も終わらせ、学生最後の遊び時と西はウィーン、東は仙台まで旅行三昧。
春から就業するところは私が今まで関わってきたこともないような人が多くいる職場で、母は心配を募らせていましたが私は素知らぬ顔で遊び呆けていました。

留年を知る三日前、私は21時からレンタカーを走らせ、友人Yと交代で運転しながら東名高速を下っていました。
名古屋で24時間のスパに滞在しながらグルメ旅行をしようとYが言い出したのです。
学生ならではの無鉄砲な移動手段と突発的な旅行は楽しく、伊勢にお参りに行ったりひつまぶしを食べたりなどしている間にあっという間に二日過ぎ、都内に戻りYの家で一息ついていた時に母から電話がきました。

旅行に行く前日、母と将来のことで軽く揉めていた私は「また喧嘩になるかな」と軽く考えながら電話をとりました。
すると、
「あなた卒業できてないよ」
「とりあえず戻ってきなさい」

あの時ほど背筋が凍るような気持ちになったことはないと思います。
下半身から力が抜け落ちたような感じで、ああいうのを腰を抜かしたというのかもしれません。

結局、私は取るべき単位を取れていなかった、そしてそれに、驚くべきことに気づいていなかったのです。
母も父も驚くほど優しく、私はその度に自分のみじめさを思い知りました。

両親から「この一年間で社会人になるこころの準備をしなさい」と教えられました。
あと100日あまり、私は何も変わっていない自分を思っています。
羊はどうですか。

高水準