留年の理由(桑弘羊)
慶應義塾大学留年生活第252日目
高水準(タカミズジュン)へ
あの日、
あなたが留年しているのを知らずに、
私は第197日目の留年生活を終えようとしていました。
と同時に
第198日目が間近にせまるなかで、
私は新宿のタイ料理屋にて、
3名の新社会人と対峙していました。
装飾過多なエスニックテーブルの下手に座って、その時はめずらしく話の聞き手に回っていました。
話題はこういうものでした。
「平日ってある時刻になると起きるの。あれ我ながらすごくない?」
「わかる!起きるよね!」
これは端的に、
「社会人になると、
なぜだか朝起きれる件についての審議」
です。
「なんか6:00になると勝手に目がさめる。」
「本当にどれだけオールしてもなぜか起きるのよ。」
二人がそう言うので、私はもう一人を見やりました。わずかな希望すら抱えて。
天性の遅刻魔Tさん、
それはもはや遅刻というより、
リスケとも取れるほどの時間差でやってくるTさん、
彼女ですら
「5:30には起きあがって風呂に入る。」
というのだから、
私は滅多刺しにされた気分でした。
というのも、
留年歴第1日目には、8:00には起きよう
と気張って、
本当にそれを実行したこの半年だったからです。
ひとつ、
その努力(もはや努力ともならないことが明らかになった)、
ひとつ、
生活管理にともなう精神安定への決意
ひとつ、
決意によってもたらされた起床時間の事実
ひとつ、
これが連結して一つの自信となっていた私という存在、
何もかもバカげてる
と自ら井の蛙を思いました。
皆は頭が賢いし、気遣えるのもあって
私にこのことを聞きやらず、
社会人と学生の区切りを視界から外したように延々と審議を続けているのでした。
彼らは、
まさしくかつて最も親しかった高校の同級生でした。
本題の前に、
あなたの留年を知ったときの感想を述べましょう。
改めて、
留年生活第197日目
換言すれば
時、10月14日土曜22:29
審議入ることもなく、またやることなしに、
パクチーをむしゃむしゃやっているその時、
ふと私は、
もっとも親しかったはずのあなたに、
あなたの思う社会生活を聞いてみたくなったのです。
「生きてる?」
と私は連絡しましたよね。
思いの外、
「ごめん、ずっと連絡してなかった。」
と即時にあなたは返してくれました。
何を思ってか私はこう聞きました。
「どこで生きてる?」
間髪なくあなたは言いました。
「私、留年中だから実はめっちゃ暇なの。まじで、ごめん。」
・・・・・・。
うえっしゃああああああ!!!!
はっきり言ってくそうれしかった。
それ以外の感情はない。
断言いたします。
人間、こんなものです。こんなことでつまらぬ飲み会が救われるんです。
なぜなら次の瞬間、
私は、
それまで進まなかった酒をがぶがぶ飲んで饒舌になっていました。
アホです。ごめんなさい。
だからね、
あなたの留年も一人の孤独を救ってるという意味では、
結果論的に救いなのです。
傷の舐め合い失礼。
まだこいつ東京にいるんだ、、と思うとベロベロ舐めてしまいます。
すいません。
本題です。
私が留年した理由、
それは
大学院に進学するためです。
つまらないでしょう?
つまらないから、孤独でした。
大学院試験が、院の進学を考えた時にはもう終わっていたから、
今年は就職せず、一留して院を受けたい
それだけです。
圧倒的自己責任を喚起してしまった私には、
生来の強情もあって
孤独だとか、そんなのバカだとか、受からなかった時の不安とか、
打ち明けられませんでした。
でも、準、やってよかったよ。
新社会人が、
それも大手や外資に行ったあの仲間が
バリバリと稼ぎ出した不安の中で、
毎日図書館に行った受験勉強が、
私の心をどれだけ支えたでしょう。
私は、その時分まで、
学者が一生かけて研究した主題やその本をバカにし切っていました。
そして、そんな何者でもないアホな自分を受験期の図書館で見つけたんです。
なにより
そんな私の話を午後1:00から聞いてくれる、
あなたのやさしい留年が
苦くも愛おしくてたまりません。
あなたは変わらない自分、と言ってるけどそれがどれだけ人を安心させるか!
相変わらず抜けたアホでいてくれ!
桑弘羊(クワヒロヒツジ)