檸檬漫談

早慶に通う留年生ふたりの文通型ブログ

留年中にするべき5つのこと(高水準)

早稲田大学留年生活 255日目
文通 5日目

羊へ

風邪をひきました。

風邪薬といつも飲んでいるビタミン剤を合わせたら一度に飲む錠剤が8つです。
しんどいです。
あなたにうつすことになりそうなので、今日は一緒にシーシャは吸えないでしょうね。


この文通がひと段落つく頃、私は順調に行けば社会人になっているはずです。(去年の今頃もそう思っていたのですが)

あなたはまだ学生生活が続きそうですが、そろそろ私は学生の締めくくりを考えなければいけないかと思います。

だから、この場を借りて私が最後のモラトリアムに何をしたいか書き出させてください。

思いついたままに書くのでオチもないでしょうが一緒にいい案を考えてくれたら嬉しいです。

  • 旅行に行く

これは鉄板ですね。
去年行けなかったですし、今年はあなたとも一緒に行きたいです。
羊とは大概国内になりますね。
何年も前から言っている屋久島は今から計画するには遅すぎるかもしれないですが、もう少し行きやすい九州あたりでもいいかもしれません。

  • 美味しい食べ物を10個見つける

ご存知の通り私は暇を持て余しています。
社会人と忙しいタイプの大学生の妹を持つ私にとって、家はなかなか肩身の狭い場所でもあります。
都内を散歩がてら美味しいご飯屋さんを開拓しようと思います。
見つけたら手紙に書くので、気になったら一緒にいきましょう。

以前、太宰治全集を読んでいると話しましたね。
筑摩書房 太宰治の本 決定版太宰治全集
これです。実はこの全集との付き合いは長く、高校三年生の作家論で太宰について書くにあたって、あなたの隣で私はこれを積み上げていました。
あの広尾の図書館です、覚えていますか?
留年してからなんとなくまた手にとっているのですが、確かまだ四巻ぐらいまでしか進んでいません。
せっかくなので読みきろうと思います。
応援してください。あと、何かもっと面白い本があったら教えてください。

手紙に書くことかとも迷ったのですが、せっかく約束したので。
一緒に行ってくれると嬉しいです。

  • 車に乗る

車に乗りたいです!個人的な願望です。
関東近郊で日帰り温泉旅行とかどうでしょう。
紅葉の季節は過ぎてしまいましたが、これからの季節露天風呂が最高ですよね。


書いてて気づいたのですが、私は思ったより目標を立てるのが苦手らしいです。

そもそも留年中なんの目的もなく残り100日まで来てしまったような人なので、一日一日を無為に過ごすことに慣れきってしまっているように感じます。
そしてそれが楽しい。
昼から一人でビール飲んで何をするわけでもなくぼんやりしてるのが一生続いても、私は苦に思わないでしょう……

「仕事終わりの酒は美味い」とよく言いますが、私は周りが働いている中ひとり悠々と飲む酒が一番美味いと思います。
恐らく非国民と罵られる類の人間です。

そんな生活ができるのもあと100日と少しですので、先ほどのリストは頭の片隅に置いておくぐらいで毎日美味しいご飯を食べて何も考えずに過ごそうと思います。
この100日を私がどれほど無駄に過ごせるか、羊も楽しみにしていてください。

あっ、でも旅行とかは行きましょう。


高水潤

留年生から見た北朝鮮(高水準)

早稲田大学留年生活 第254日目
文通 4日目

羊へ

寒いですね。
あなたの手紙で笑わせていただいたおかげで多少血流が良くなって指先まで血が通いましたが、いまだ寒いばかりです。

ただいま15時半、まだ昼食にありつけていません。

すでにステーキハウスには到着したのであとは肉が来るのを待つだけですが、この時間まで食べていないと血糖値の下がり方は一刻一秒を争います。

私の空腹に対する耐え性の無さは、羊さんもなんとなくご存知なことかと存じます。
自分が糖尿であると診断されていないことに、納得できていないほどです。

肉が来るまでの気休めに、あなたの手紙に付き合ってやろうと思ったまでです。
品性のない書き方ごめんなさい。


さて、北朝鮮の話でしたね。

確か、私が留年をカムアウトした直後に会ったカフェでそんな話がちらと出たのを覚えています。
今年のエンタメ業界の潮流について話した結果、大きな話題をさらったのがそんなものしかなかったというような話でしたか?
覚え違いかもしれません。

そう、私は結局「北朝鮮のミサイル」も、多分衆議院選挙だって、娯楽の一部として消費している面がありますでしょう。
言い過ぎたでしょうか、言い過ぎだと感じたならあなたへの個人的な手紙だと思って誰にも言わず心に留めておいてください。

私はあなた以上に北朝鮮について不勉強なため、話せることはあまりありません。
ただ、今、北朝鮮に限らず世界中のいたるところに空腹によって惨めな気持ちになっている人がいることだけは分かります。

空腹感ほど人を惨めで悲しく誰よりも矮小な存在にするものはありません。少なくとも他のことはほぼ満たされている今の私にとっては。

こんなことを書いているうちに肉が来ました。
ちょっとお待ちください。


すっかりたいらげ、心も体も満たされています。
あとは少しの甘いものとコーヒーがあれば私の今日1日は完璧なものになる直感があります。

肉を食べているうちに何を書きたかったのかすっかり忘れてしまいました。
満足は怒りの敵ですね。
私はお腹が空いてイライラしていたんだと思います。

今日も明日も「パンとサーカス」を求める日々です。
でも留年生にできることなんてそれくらいしかないですね。

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」なんて聖句を思い出しています。
うろ覚えなので鵜呑みにしないでください。

確かに人はパンだけで生きるものではないと私も思います。なんとなく。
でも、神さまがいたとしてもパンがなければ生きられない、パンは神よりも重要事項なんです。


高水準


追伸

あなたが世界史のセンターなんて話を出すから使っていない脳みその棚を5年ぶりに開けたような感じです。

センターの点数など何点満点だったかも定かじゃないほどですが、あなたの方の大学のある学部の世界史は近現代史が多すぎてほぼ当てずっぽうだった記憶だけは残っています。
人間は嫌な記憶をいつまでも大事にしがちですね。

留年生から見た北朝鮮(桑弘羊)

慶應義塾大学留年生活第253日目
文通歴第3日目



早稲田大学5年生の高水準(タカミズジュン)へ



寒冷のみぎり
つつがなくお過ごしのことと存じます。

(和訳:クソ寒いが、留年したお前はあいかわらず、つまらん日を過ごしてるんだろうな。)


今年も残すところあと22日となり、
つむじ風吹く師走の街にも
慌ただしさを感じるこの頃です。


(和訳:まあ、まだまだ、年末とは言えないな。
こっちは晴れているのに、風が吹くから、
無駄に雲が陽を隠して寒くなるあのウザい気候を過ごしているよ。
慌ただしいってのはうそ。街がいくら忙しかろうが、めっちゃ暇な私です。会ってください。)


で、
季節の挨拶を終えたところで、
私の中にひとつの疑問が起こりました。


あれ。今年って何あったっけ?


という疑問です。


それでよーく、考えたわけです。

私のさもしい感性にすら切実に訴えかける事件なかったけー?って。


まず、思い浮かんだのが「日馬富士、後輩をリモコンで殴った件」。
うん、これはただ記憶に新しいだけだ!


次、「座間で9人殺された事件」。
これを手紙に書くのは、おかしすぎる。


次、「北朝鮮のミサイル割と撃ち込まれてる件。」
・・・・・・。
これは、いいんじゃない?
今年の時事問題じゃないですか。
来年の大学受験で、絶対朝鮮戦争らへんを出題する学校あるでしょう。
それに、私以上に、ぼんやりした感性をもつあなたがどう思ってるか聞きたい。


って私のさもしい感性が今、さもしい声で言いました。


じゃあ、2013年のセンター試験世界史で86点という
なんともさもしい点数を頂戴したさもしい私はさもしい身分なりに、
どう、さもしく感受すればいいのでしょう?


今、思い出した感想、つまり
第一に、私があの北朝鮮のニュースを見て思ったこと。

それは、


なーんか、二次大戦前の日本に似てるなあ。


です。


ごめんなさい。
あの、ズキューン!って感じ出せなくて。
コイツ、的を得てやがる!って感じのやつ出せなくて。
分析も論理もなしの、センター試験世界史86点の感性です。


だってね、高水準さん、
あなたは私と同じ世界史の塾に通ってたじゃないですか。
私のできなさ知ってるでしょ?

んで、入塾説明会での先生の一言。
「うちの塾はね、去年度はセンター平均9割ですから。」

ごめんなさい。私は先生の足を引っ張るようなことをしました。
できの悪い生徒ですよ!私は!



話題を戻しましょう。

なーんか、今の北朝鮮、二次大戦前の日本に似てない?

って話でしたね。



約80年前、
二次大戦前の日本、

アメリカやイギリスから今まで不平等な扱い受けたどころか、
大国には植民地があって然りという西欧に倣って満州を建国したのに、

「お前んとこは、認めねーよ。」と列強からつっぱねられてしまいました。

「じゃ、いいもん。」

日本、キレて国連を脱退してしまいました。

その後は、列強からの禁輸措置によって貿易もままならなくなります。



要は、政治経済共に孤立。



めっちゃ今の北朝鮮に似てない?

って思ってしまいました。

政治経済共に孤立ですよ、北朝鮮は。

あの強がる労働党のニュースの感じとか、私にはもはや切ないです。
だって、北朝鮮の国民はまだ世界大戦は続いてると教育されているんですよ。

ああ、切ない。
寒くて、お腹減って、それで世界と戦うなんて、切ない。

だってのちに、日本が負けるの知ってるから。
ボコボコにされて、アメリカに統治してもらったのを習ったから。



ミサイル落ちるのはもちろん困るし、それが一番やなんだけど、
とにかく日本みたいに焼け野原になっても、ただただ切ないです。

それで、
オンボロ木造船で日本海渡って来たりする人が、もっと増えるんでしょうが、
あれだって、命がけの逃避行じゃないですか。
それをわかって、本国に送り返すのもきっと切ないです。
(飛び火して、日本と北朝鮮の二国で焼け野原になってもやだ。切ないし、困る。)


そう、まず私はあのニュースを見て
こう思ったのです。

あなたはどうですか?


・・・・・・。










てか、今年一番の事件って私たちが留年したことじゃん!!!!?


P.S
まずお断りしたいのは、私の世界史は86点です。
しかも、それ、4、5年前の話。
数学は高校で、3点取りました。
要は、知識も論理も備わってない感性なんです。
そう、さもしい、感性。。。

間に受けないでくださいね。
だけれど、私の中に思い浮かんじゃったんだから!
ゆるしてちょ!

桑弘羊(クワヒロヒツジ)

留年の理由(桑弘羊)

慶應義塾大学留年生活第252日目


高水準(タカミズジュン)へ


あの日、

あなたが留年しているのを知らずに、

私は第197日目の留年生活を終えようとしていました。

と同時に

第198日目が間近にせまるなかで、

私は新宿のタイ料理屋にて、

3名の新社会人と対峙していました。


装飾過多なエスニックテーブルの下手に座って、その時はめずらしく話の聞き手に回っていました。

話題はこういうものでした。

「平日ってある時刻になると起きるの。あれ我ながらすごくない?」

「わかる!起きるよね!」


これは端的に、

「社会人になると、
なぜだか朝起きれる件についての審議」

です。


「なんか6:00になると勝手に目がさめる。」

「本当にどれだけオールしてもなぜか起きるのよ。」


二人がそう言うので、私はもう一人を見やりました。わずかな希望すら抱えて。


天性の遅刻魔Tさん、

それはもはや遅刻というより、
リスケとも取れるほどの時間差でやってくるTさん、

彼女ですら

「5:30には起きあがって風呂に入る。」

というのだから、
私は滅多刺しにされた気分でした。

というのも、
留年歴第1日目には、8:00には起きよう
と気張って、
本当にそれを実行したこの半年だったからです。


ひとつ、
その努力(もはや努力ともならないことが明らかになった)、

ひとつ、
生活管理にともなう精神安定への決意

ひとつ、
決意によってもたらされた起床時間の事実

ひとつ、
これが連結して一つの自信となっていた私という存在、

何もかもバカげてる

と自ら井の蛙を思いました。


皆は頭が賢いし、気遣えるのもあって
私にこのことを聞きやらず、

社会人と学生の区切りを視界から外したように延々と審議を続けているのでした。


彼らは、
まさしくかつて最も親しかった高校の同級生でした。


本題の前に、
あなたの留年を知ったときの感想を述べましょう。

改めて、

留年生活第197日目

換言すれば

時、10月14日土曜22:29


審議入ることもなく、またやることなしに、
パクチーをむしゃむしゃやっているその時、

ふと私は、
もっとも親しかったはずのあなたに、
あなたの思う社会生活を聞いてみたくなったのです。


「生きてる?」
と私は連絡しましたよね。


思いの外、
「ごめん、ずっと連絡してなかった。」
と即時にあなたは返してくれました。


何を思ってか私はこう聞きました。
「どこで生きてる?」


間髪なくあなたは言いました。
「私、留年中だから実はめっちゃ暇なの。まじで、ごめん。」




・・・・・・。




うえっしゃああああああ!!!!


はっきり言ってくそうれしかった。
それ以外の感情はない。

断言いたします。
人間、こんなものです。こんなことでつまらぬ飲み会が救われるんです。


なぜなら次の瞬間、
私は、
それまで進まなかった酒をがぶがぶ飲んで饒舌になっていました。
アホです。ごめんなさい。


だからね、
あなたの留年も一人の孤独を救ってるという意味では、
結果論的に救いなのです。




傷の舐め合い失礼。
まだこいつ東京にいるんだ、、と思うとベロベロ舐めてしまいます。

すいません。




本題です。

私が留年した理由、

それは

大学院に進学するためです。


つまらないでしょう?

つまらないから、孤独でした。

大学院試験が、院の進学を考えた時にはもう終わっていたから、

今年は就職せず、一留して院を受けたい

それだけです。


圧倒的自己責任を喚起してしまった私には、

生来の強情もあって
孤独だとか、そんなのバカだとか、受からなかった時の不安とか、

打ち明けられませんでした。


でも、準、やってよかったよ。


新社会人が、
それも大手や外資に行ったあの仲間が
バリバリと稼ぎ出した不安の中で、

毎日図書館に行った受験勉強が、
私の心をどれだけ支えたでしょう。

私は、その時分まで、
学者が一生かけて研究した主題やその本をバカにし切っていました。

そして、そんな何者でもないアホな自分を受験期の図書館で見つけたんです。


なにより
そんな私の話を午後1:00から聞いてくれる、

あなたのやさしい留年が
苦くも愛おしくてたまりません。



あなたは変わらない自分、と言ってるけどそれがどれだけ人を安心させるか!

相変わらず抜けたアホでいてくれ!


桑弘羊(クワヒロヒツジ)

留年の理由(高水準)

早稲田大学留年生活 251日目

桑弘羊へ

お元気ですか。
他にいい書きはじめ方が思い浮かばずにこんな文言になってしまいましたが、昨日も会いましたね。

本当は本題に入る前に色々と話した方がいいのかもしれないけど、思いつかないし恥ずかしいので先を急ぎます。

私が留年した経緯について書くんでしたね。
留年の多くは無計画でしょうが、私ほど「無計画の留年」という言葉が似合う人はなかなかいないと思います。

私が自分の留年を知ったのは3月も中旬が過ぎようとしているときでした。
就活も卒論も終わらせ、学生最後の遊び時と西はウィーン、東は仙台まで旅行三昧。
春から就業するところは私が今まで関わってきたこともないような人が多くいる職場で、母は心配を募らせていましたが私は素知らぬ顔で遊び呆けていました。

留年を知る三日前、私は21時からレンタカーを走らせ、友人Yと交代で運転しながら東名高速を下っていました。
名古屋で24時間のスパに滞在しながらグルメ旅行をしようとYが言い出したのです。
学生ならではの無鉄砲な移動手段と突発的な旅行は楽しく、伊勢にお参りに行ったりひつまぶしを食べたりなどしている間にあっという間に二日過ぎ、都内に戻りYの家で一息ついていた時に母から電話がきました。

旅行に行く前日、母と将来のことで軽く揉めていた私は「また喧嘩になるかな」と軽く考えながら電話をとりました。
すると、
「あなた卒業できてないよ」
「とりあえず戻ってきなさい」

あの時ほど背筋が凍るような気持ちになったことはないと思います。
下半身から力が抜け落ちたような感じで、ああいうのを腰を抜かしたというのかもしれません。

結局、私は取るべき単位を取れていなかった、そしてそれに、驚くべきことに気づいていなかったのです。
母も父も驚くほど優しく、私はその度に自分のみじめさを思い知りました。

両親から「この一年間で社会人になるこころの準備をしなさい」と教えられました。
あと100日あまり、私は何も変わっていない自分を思っています。
羊はどうですか。

高水準